Tori Script ロゴ
ホーム 脚本術・理論 ラヴクラフトはSave the Cat!で読めるのか? 構成ガチ勢がクトゥルフ神話を分解してみた
脚本術・理論 2025/4/20
Written by 鳥羽才一

ラヴクラフトはSave the Cat!で読めるのか? 構成ガチ勢がクトゥルフ神話を分解してみた

ラヴクラフトはSave the Cat!で読めるのか? 構成ガチ勢がクトゥルフ神話を分解してみた のサムネイル

脚本を学び、様々な物語の構造が見えて来た時、脳裏をよぎるのが“例外”の存在。それがラヴクラフトのクトゥルフ神話──時系列はあいまいで視点はバラバラ、登場人物はすぐ発狂。解決しない、成長もしない、そんな構成の真逆を行く古典ホラーを、「Save the Cat!」の構造で読めるのか? 無謀な問いに、あえて真っ向から挑んでみます。

Contents

そもそもクトゥルフ神話ってどんな話? ラヴクラフト作品の特徴を整理しよう

ラヴクラフトの作品群、いわゆる「クトゥルフ神話」は、明確なシリーズ構成があるわけではありません。いくつかの神話的存在(クトゥルフ、ニャルラトホテプ、アザトースなど)と、それにまつわる人類の知らない真実を描く短編や中編が点在しています。共通点としては、

-語り手が体験談を「記録」として語る。基本的に回想形式 -時系列が曖昧で、記録や夢が重層的に語られる -主人公は積極的に行動せず、知ってはいけないことにうっかり触れる -「成長」も「変化」も起こらず、真実に触れて終わる(もしくは狂う) -あらゆる理性・秩序・構造を無力化する“宇宙的恐怖”がテーマ

この時点でSave the Cat!が大切にしている「感情移入・変化・克服」と相性が悪いことが薄々伝わってくるはず。でも、本当に“構成が崩壊してる”だけの作品なのでしょうか? あえてSave the Cat!の15ビートで無理やり分類し、逆にラヴクラフトの異質さを浮かび上がらせてみましょう。

Save the Cat!の15ビートでラヴクラフトを読もうとしてみた

すでに後悔中

正直、最初から無理があることはわかっていました。それでも構成を信じて生きてきた者として、どうしてもやってみたかった……!

ということで ラヴクラフト作品(特に『クトゥルフの呼び声』『闇に囁くもの』『インスマスを覆う影』あたり) に見られる語りの構造を、Save the Cat!のビートでなんとか照合してみます。もちろん、完全には当てはまりません。むしろ当てはまらないことこそが特徴なのかも……。

オープニング・イメージ

大抵、地味な書斎か書類。雰囲気は暗く、静かで、不穏。ここで語り手が「これから話すことは信じてもらえないかもしれないが……」と前置きすることで「理性と現実の境界」がすでに揺らいでいる。

テーマの提示

序盤で「知るべきではなかった」「理解できない何かがある」といった言葉がちらつく。 つまり、テーマはだいたい 「無知は幸福」 。ただし、読者にそっと突き返してくる感じ。

セットアップ

語り手の日常や、きっかけとなる発見(古文書、遺品、記録など)が出てくる。ここで登場する人物や土地の名前は、あとで高確率でヤバいものと繋がりがち。

きっかけ(カタリスト)

事件、死、古文書の発見、もしくは謎の夢。大体「調べなきゃよかった」と後で後悔するフラグがここで立つ。

悩みのとき(ディベート)

一応「調査を進めるべきか、やめるべきか」みたいな逡巡があることも。引き返せばいいものを、どの作品もだいたい「でも好奇心が勝った」ということで突き進む。この時点で破滅は確定している。

第一ターニング・ポイント

より深い情報源に接触する。田舎の住人、夢の続き、発掘調査など。ここで“現実感のないもの”が具体的な証拠として浮上してくる。読者は「うわ……マジであるのかも……」と不安になり始める。

サブプロット(Bストーリー)

基本ナシ。人間関係のドラマとか、誰かとの交流とか、ラヴクラフトにそんな甘美なものは存在しない。あるとすれば、「古文書との対話」か「死者との交信」ぐらいです。もうちょっと魅力的な夢を見させてくれてもいいのよ……?

ミッドポイント

ヤバい情報が一気に開示されるタイミング。クトゥルフが眠ってるとか、実は種族が人間じゃなかったとか。物語の中心テーマ(=人間の理性がどこまで通用するか)が、ドンと正面から顔を出してくる。視点的にも空気的にも「これ、引き返せないところまで来てるな……」感が増す。

迫り来る悪い奴ら

直接“悪い奴”が襲ってくるというより、世界観のほうが襲ってくる。夢が頻発、現実が歪む、周囲の人間がおかしくなる、みたいなジワジワした崩壊。つまりは“宇宙的恐怖”──人間の理解が追いつかない奴らが敵。

すべてを失って

得たはずの知識や希望が、むしろ絶望の元だったと判明する。読者も「あれ、何を読まされてたんだっけ……」という気持ちになる。主人公の精神状態も崩壊寸前、もしくはすでに崩壊済み。時折「うふふ」と笑い出す。

心の暗闇

ここで内省するのは、主人公というより読者。知識とは幸福か、理解とは何か、我々は見るべきでなかったのでは──という哲学的問いに、真正面からノーコメントを決め込まれるのがラヴクラフト流です。

第二ターニング・ポイント

一般的な物語ならここで「主人公が成長して、状況を打破する決断をする」場面。ラヴクラフト作品では 成長? 克服? 未知に対して? の一言で終了しちゃう。せいぜい「この記録を残して私は去る」くらいが関の山──ここで普通の物語に染まり切って、盛り上がりを期待した読者は静かに恐怖を噛みしめることに……。

フィナーレ

状況は何も解決していないけど、語り手の物語は終わる。読者には確かに「何かとんでもないことが起きていた」実感だけが残される。そしてクトゥルフは、夢の底でまだ眠っている──たぶん。

ファイナル・イメージ

最初と同じ部屋、同じ静けさ、同じ語り口。でも語り手はもう元には戻れない。見てしまった。知ってしまった。思い出してしまった。そして「この記録が、誰かの手に渡らないことを祈る」と記して幕。

じゃあ記録しないでよお!

そして私は──超訳を始めてしまった

正直、もう普通に読める気がしなくなりました。語り手は狂うし、構成は崩壊してるし、何よりあんな終わり方されて……構成好きとしては気が狂いそうになるわけですよ。

でもソコが面白いんです! 構成の枠に入らないからこそ、読むたびに“違和感”が生きてくる。それを「読みにくさ」で終わらせず、現代の文脈で読み直してみたら──少しだけ正気を保ったままクトゥルフに触れられるのではないでしょうか。

何を言っているのか分からない? 正気の人類にとってはそうなのかもしれません。私自身、何が正解なのかなんてわからないんですから……。まさか、誰もが分かるように“超訳版”を作ってみようだなんて思うワケ──ねえ?

次回予告:クトゥルフと、夢と、ちょっとした脱線。