全ては一つのパンから始まった──人は変われるのか。悪とは、正義とは何か。一人の男の生涯を160分の歌で描いた、ミュージカル映画の大巨編!
[miserables]とは不幸・惨め・悲惨など、辛い内容を広く包括した言葉。作中ではタイトルが示す通り、貧困・虐待・迫害・死別と、これでもか! と人生の不幸が視聴者の心に襲い掛かる。
もちろん不幸なことばかりではないものの、基本的に落ち着きや安らぎといった言葉はエンディングまで訪れない。裏をかえせば95%の鬱屈するシーンがあるからこそのエンディング──得られるカタルシスは相当のものである。
2012年公開、原作は【ヴィクトル・ユゴー】、そして同名のミュージカルを下敷きに作られた。ミュージカルのほうをもとにしているからか、人間ドラマの部分はやや薄味で、歴史的背景はほぼ語られないので、原作の大まかな前知識を持っていたほうがより楽しめる作品となっている。
本作の主軸となるキャラクター。たった一度、パンを盗んだ罪で投獄、20年間虐げられて過ごした。刑期を終えたのちに司教によって助けられ、憎しみではなく愛のために生きると誓う。演者はX-MENのウルヴァリンを演じたヒュー・ジャックマン──ものすごく目つきが悪い。だがそれが良い!
ジャン・バルジャンの投獄されていた刑場で看守をしていた男。仮釈放の証書を破り捨て、名を捨て別の生を得たバルジャンを決して許さず、その影を追い続けた。日本で分かりやすくいうと、より偏執的になった銭型警部。
ゆすりや盗みを生業とする典型的な悪者。バルジャンの行く先々に(たまたま)現れては、彼の平穏な人生に影を落とし続ける嫌な役回り。現代のシナリオでは「そうはならないだろう」というほど付いて回るが、余計に嫌らしさが増している気がする。
娘のエポニーヌや息子のガヴローシュはコゼットと同年代のため色々なやり取りがあるのだが、そこまでコゼットにスポットライトが当たっていないため「あのエポニーヌが!」といった驚きは薄い。それよりも、よくあのテナルディエからこんな良い子が生まれたなという感想。
のちに養父となるバルジャンにより、預け先のテナルディエ一家から救われた娘。バルジャンが主な視点となるため、本作では影が薄い。テナルディエ夫妻の実の娘・エポニーヌとの対比、そしてやはり愛によって人は変わるというテーマ性の一つも分かりにくくなってしまっている。
コゼットと恋に落ちる革命に生きる青年。恋してしまったばかりにどっちつかずになってしまうものの、そこは革命家。最後まで仲間と戦い続ける。
ミュージカルには華々しいイメージを持っているかもしれない。が、本作はどちらかというと古典、それもシェイクスピアを代表とする『悲劇』に近い内容である。先に言っておくと、全体の内容にエンターテインメント的な意味の「楽しい」は皆無と言っていい。しかし──!
決して舞台ミュージカルの否定ではないが、移動を前提とした書き割りではない、豪華なセットやVFXの数々! 生の目では見られない、凄味のある映像を見ることができるのだ。重く暗い奴隷や貧民の生活でさえも、華々しく楽しい、力一杯『生きている』と思わずにはいられない説得力を与えてくれる。
映像美の最たるものはラスト付近、ジャベールがセーヌ川に身を投げるシーン──現在の姿からは想像できない荒々しい濁流は、決して生き残れないだろうと容易に想像がつくほどの迫力! 逃亡劇のため、他にも何度かこういった高低差のある場面があり、舞台では表現不可能な、この映画ならではの見どころの一つだろう。
なんといってもこのジャン・バルジャン、人相が悪すぎる。シナリオを知っていると「このバルジャン大丈夫? あとで愛に生きる老紳士になるんだよ?」と不安になってくる。
まだ名前の出ていないシーンで、巨大なマストを持ち上げた瞬間に「まさかこれが……?」という気持ちになった主人公は初めてだったかもしれない。
なんといってもこのバルジャン、中身はあの凶暴なウルヴァリンを演じたヒュー・ジャックマンなのだ。隠しきれない凶暴性──それだけにマドレーヌ市長へのイメチェンには、一瞬演者が違うのではと錯覚してしまうほどの驚きが!
ミュージカルなので当然だが、やはり歌う。それも前知識として聞いていた【9割歌】になんら偽りのないほど歌っている。まさかそこで? という『ジャベールがバルジャンに釈放を言い渡す』シーンでも歌うとは思っていなかった。
それも皆良い声なので、歌われて嫌な気持ちがしない──どころか歌っていないシーンは逆に「なぜ歌わない?」となるほど。でも突然歌い出す看守に呼びつけられたくはない。
自分で釈放を言い渡しておきながら、出所していくバルジャンを、ジャベールがジッと暗い眼で見つめている。それはもう恋しているのではというほどに。
実際偏執的に追ってくるので間違いではないが、それにしても見すぎである。だが、あとの展開を考えると100点満点の演技なのがまた悔しい。直前に「俺の名はジャベール。俺のことを忘れるな」と言い放っているため印象深い。
独白はミュージカルにはつきもの──だが忍び込んだり、他人の家にお世話になっているのに歌うのは面白い。※イメージ映像です、だと分かっていても。良い声すぎるのが悪い。
個人的にツボに入ったのが、宿を借りた司教から盗んだ銀食器を「彼にあげた」と返されるシーン。「嘘だろこのおっさん本気で言ってるのか? 本気で……? こんな奴がこの世にいるのか……いや、いるはずがない……」と心の声が聞こえてきそうな疑り深い顔をしている。
司教に愛を与えられ、愛に生きると『マドレーヌさん』となったバルジャン。本当に同一人物かというほどのイメチェンなのだが……ジャベールは目ざとく気付いてジッと見つめる。好きすぎか。恋する乙女か! 特に関係はないが、構図のせいで仮面ライダー剣の「なぜ見てるんです! 橘さん」を思い出してしまう。
序盤一の見所ともいえる、二人の決闘シーン。三日だけ時間をくれというバルジャンに、ジャベールは容赦なくサーベルで襲い掛かる。どちらが悪党なのかといえばバルジャンなのだが、ジャベールのサイコ味がすごくてどちらが悪なのか分からない。二人の掛け合いも良いし、合間に入るサーベルの金属音でリズムを取っているのも良い。最高の決闘シーンである。
この映画では歌のないシーンがほぼない。それは緊張感のある逃亡用の馬車でもそうで、聞こえないと分かっていても、御者に歌が聞こえてしまわないかハラハラしてしまう。
結局ジャベールはバルジャンを取り逃がしてしまう。そしてしっとりとしたバラード調で、バルジャンへの憤りを歌うのだが──まるで愛する相手に焦がれるような切ない絶妙な表情のため、愛の歌に聞こえてしまう。神の愛を裏切ったという歌詞もあるので余計にそれっぽい。良い声で偏執的すぎるジャベールよ……。
いつか何かがおきる、爆発すると歌ている次のシーンのコーラスが「いつか、いつか、いつか」に聞こえ、字幕にもそう出ている。それだけだが、緊迫感のあるシーンなので不意を突かれて笑ってしまう。
おそらく歌劇になることを見越してか、または歌劇になった際の変更だが、歌いながら、コゼットに恋をしたマリウスを「下手なオペラより面白い」と語っている。メタなのかそうでないのか区別できないのは少し悔しい。
何度も言うが、この映画ではほとんど常に歌っている。ミュージカル特有の胸中を歌うシーンももちろんあり、本人を前にして「名前も知らない」とものすごい至近距離で歌うのはややシュール。しかも美男美女だから面白味がでないはずがない。
物語も終盤に差し掛かり、登場人物のそれぞれが自分の立ち位置や気持ちを歌う。そこでそれまでに出てきた歌がつながっていき、大きなうねりとなる──シーンの切り替えが激しいため、これも舞台ではできない。それだけに熱い!
離れているのに全員の思惑がそれぞれ違う方向に動いている……ドラマ的にも最高潮! このシーンのためにこの映画があると言っても過言ではない。
武装蜂起直前、民衆が少しずつ小声で歌う。面白いシーンではないのだが、あまりにも小声でさりげなく始まるため面白く感じる。その直前は10秒ほど、おそらく作中最長の歌がない時間のため、余計に歌が際立つ。
字面だけ見るといじめである。交際を許される立場にないマリウスはコゼットに対して手紙を送る。受け取ったのはバルジャンで──行為の良し悪しはおいておいて、開封した手紙をバルジャンが歌い上げてしまう。歌わなければよくあるシーンで済むものの、歌うために衝撃がすごい。
原作にもあるので特筆すべきポイントではないのは重々承知なのだが、バルジャンはそのまま殺すこともできたジャベールを殺さず救ったため、再び窮地に立たされる。もう何度目かの「時間をくれ」という嘆願を信じ、ついにバルジャンを見逃してしまう。そして独唱。
「俺と奴、法か善か! 俺の心が惑う──俺の信じていた世界は闇に消えた。奴は天使か悪魔か……そして奴は知らない。俺に命を与えて、奴は殺した……この俺を……」
自分の信念を疑い、生きる根幹が分からなくなってしまったジャベールは、ついに絶望してセーヌ川に身を投げてしまう。そんなことバルジャンも望んでいなかったろうに、思考が完全にこじらせたヤンデレそのもの──でもそれがジャベールの良いところなのである。
ジャベールに始まりジャベールに終わる(というわけではないが)、数奇な運命の物語。
ジャン・バルジャンの囚人番号。ことあるごとに登場する。読み方は「トゥー・フォー・シックス・オー・ワン」。歌い上げるとものすごくカッコイイ。もしも数字を歌い上げる機会があったら0をオーと読むのは是非真似したいところ。
映画という媒体では尺の都合で、原作や時代背景を知らないと分からない部分があるものの、それを補って余りあるほどの映像と歌・演技で一見どころか二見も三見も大いにアリな素晴らしい映画。あまりに音楽が良すぎてサウンドトラックが欲しくなるところまでがセットだろう。
監督 | トム・フーパー |
原作 | ヴィクトル・ユゴー |
配給 | ユニバーサル・ピクチャーズ |
上映時間 | 158分 |
URL | https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00GNM6GXY/ |